生命(いのち)のしくみ

生命(いのち)のしくみ

 

生命(いのち)とは何だろうか?

 

私たちは、自らの生命に対して、あまりにも無知ではないだろうか?

 

一見すると私たちの体は、機械のようにいろいろな部品の寄せ集めであり、

健康な体 = 固定された完全体

をイメージされている方が多いのではないだろうか?

 

それは人間の構造を、構成要素を細かく分析していく方法で理解し、

もっと詳しく知ろうとしたことが原因なのかもしれない。

 

現代の医学も、人間を機械論的に扱い、

部品(臓器)別にアプローチして治療するようになっています。

 

胃が悪ければ、胃を治療し、

肝臓が悪ければ、肝臓を治療します。

 

臓器移植、そして今注目の再生医療により、

人体の部品を取り換えようとする試みは加速しています。

 

まさに再生医療は、機械論的な医療の最先端ではないだろうか?

 

ダメになってしまった部品を取り換えてしまえば、

私たちの体は新しく生まれ変わるのだろうか?

 

肉体的にすべての部品が揃っていても、

やがて私たちは、その生命活動を停止する日が必ずやってきます。

 

では改めて

生命(いのち)とは何だろうか?

 

構成要素がお互いに調和し補い合い、全体として一定のバランスが保たれること、

すなわち恒常性が保たれるシステム、それこそが生命(いのち)なのです。

 

私たちの体は、固定された物質のように思われますが、

体を構成している要素は絶え間なく分解され、

新たに取り込まれた物質により置き換えられています。

 

食事によって摂取した栄養素をつかって、体は絶えず作り直されているのです。

食事により何キロカロリー摂取し、運動して何キロカロリー消費したなどと、

まるで機械に燃料を入れるかのように考えてはいないだろうか?

 

時間を止めて見た時に、生命は機械のように見えてしまいますが、

実は絶えず新陳代謝を繰り返し、決して固定されることはありません。

 

生命 = 常に流れの中に存在し、一定のバランスが保たれている状態

 

傷ついたり、一時的に大きくバランスを崩したとしても、

バランスをとって復元する力があります。

まさにそれが生命力あるいは自然治癒力と呼ばれる治癒系のシステムなのです。

 

しかしながら、まるでこの治癒系のシステムが存在しないかのように、

機械論的なアプローチを繰り返し、

生命(いのち)の断片を追いかけ続けているのが、

現代の医学ではないだろうか?

 

本当の生命(いのち)を診るためには、

生命(いのち)全体をまるごと捉え、アプローチすることが重要になります。

 

科学は、測定できるもの、数値化できるものを対象として、大いに発展してきました。

その反面、測定されないもの、量によってあらわせないものは、科学の対象外とされてきました。

 

私たちは、心、精神、さらには私たちをとりまく環境までもが、

複雑に相互関係している存在であり、

様々な影響を受けて生命(いのち)はバランスをとっています。

 

自らの生命(いのち)と向き合い、

生命(いのち)をまるごとメンテナンスすることで、

私たち本来の生き方ができるのではないだろうか?

 

 

 

「生命のしくみ」総論

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