タンパク質の水和を媒介するATPの働き

私たちは、体を動かして活動したり、心臓の鼓動のような無意識の運動も行っています。
これらの動きには筋肉の働きが関わっています。
ミクロな細胞の中では、酵素と呼ばれる無数のタンパク質が、イオンを運んだり、分子を分解・合成したりと常に活動をしています。
このようにタンパク質が活動するためにはエネルギーが必要となります。
食事によって摂取した糖や脂肪などは、アデノシン三リン酸(ATP)と呼ばれる分子に変換されます。
その ATP が加水分解するときに放出されるエネルギーが、私たちが生命活動を行うためのエネルギーになると考えられてきました。
しかし、それは、私たち生命にとって欠かすことができない水の存在を無視した考え方だったのです。
ATP のエネルギーとは何なのか?
水の主体的役割から考えると、見える世界が変わってくるのではないでしょうか。
In the Beginning: Let Hydration Be Coded in Proteins for Manifestation and Modulation by Salts and Adenosine Triphosphate
Int J Mol Sci. 2024 Nov 28;25(23):12817. doi: 10.3390/ijms252312817
生命エネルギーの通貨ATP 〜ATPのエネルギー放出の分子メカニズム〜
ATPの加水分解エネルギーとは

アデノシン三リン酸(ATP)は、すべての生細胞における普遍的なエネルギー通貨であり、その高エネルギーリン酸結合の加水分解を介して、数多くの生物学的プロセスを駆動すると考えられてきました。
そのため ATP はエネルギー通貨と呼ばれています。
ATP のエネルギー通貨としての役割については、関連記事をご参照ください ↓
私たちの生体分子は水中に存在し、水と相互作用しながら、他の分子との相互作用によって機能を発揮しています。
ATP の加水分解というと ATP 分子のみを考えがちですが、その加水分解においては、水と ATP との相互作用も考える必要があります。
ATP の加水分解に伴う自由エネルギー変化は、多数の溶媒の水分子がその配置を乱雑にしようとする傾向、すなわちエントロピーの効果も含んでいます。
ATP が ADP と Pi(無機リン酸)に加水分解するときの安定化の自由エネルギーは、‐170 kcal/molほどあります。
しかし、ATP が分解して ADP と Pi に別れ、これらの水和に起因する自由エネルギーと相殺されることによって、ATP の加水分解自由エネルギーが -10 kcal/molぐらいとなります。
ATP の1mol当たりの重さが約500 gで、ATP をそれだけ合成して、やっと10 kcal分の活動が可能になります。
そうすると、人間は1日に自身の体重と同じくらいの重さの ATP を合成し、これを消費することによって活動していることになり、大きな違和感を感じてしまいます。
私たちの体の中には、食物を代謝して得られる ATP 以外にも、何かエネルギーを生み出すシステムが存在している可能性が高いと考えられます。
タンパク質の構造変化と水和

生命は常に水と結びついています。
水和は、有機化学物質と無機化学物質に関係なく、すべての化合物に共通する基本的かつ普遍的な現象です。
水和は、水分子と他の物質との相互作用であり、水素結合、静電相互作用、ファンデルワールス力などのさまざまなメカニズムを通じて発生します。
水和の程度と性質は、関与する物質の化学的性質、たとえば極性、電荷、分子構造によって異なります。
水和は、水性環境における有機分子の溶解性、安定性、反応性に大きな影響を与えています。
タンパク質は、私たちの細胞を動かす原動力であり、細胞内にはそれぞれが特殊な機能を果たす何千種類ものタンパク質が存在しています。
タンパク質の構造がその機能を決定することは古くから知られており、タンパク質もまた高度に水和されています。
タンパク質の動的挙動(構造変化)は、周囲の水分子(水和殻)のダイナミクスと複雑に結びついています。
言い換えると、水はタンパク質の折り畳み、酵素触媒、膜の自己組織化など、数多くの重要な生物学的プロセスを媒介し制御しています。
タンパク質の水和殻については、関連記事をご参照ください ↓
水がなければ、適切なタンパク質フォールディングに必要な力が正しく発現せず、誤ったフォールディングを招いたり、機能しないタンパク質を生み出したりします。
タンパク質と水の相互作用は、タンパク質フォールディングのエネルギーランドスケープを形成します。
結合した水分子がバルク溶媒中に放出されると、タンパク質のフォールディングがエントロピー的に促進されます。
それによって、タンパク質はエネルギー障壁を乗り越え、フォールディング状態、本質的に無秩序な状態、相分離状態、膜結合状態、凝集状態またはアミロイド状態など、様々な状態にダイナミクスが発生します。
水の並進エントロピーについては、関連記事をご参照ください ↓
ATP はタンパク質の折り畳みを効率的に誘導する

機能するために「折り畳みが崩れた状態」から「折り畳み状態」へのフォールディングを必要とするタンパク質は、わずかにしか安定していません。
その結果、遺伝子変異や環境ストレスによってこれらのタンパク質は容易に不安定化され、細胞内でのミスフォールディングや凝集を引き起こします。
この不安定化は、老化や神経変性疾患に共通する病理学的特徴でもあります。
神経変性疾患であるアルツハイマー病でのアミロイド形成については、関連記事をご参照ください ↓
「折り畳みが崩れた状態」では、タンパク質は高度に水和しており、重要な残基は水素結合を介して水分子と相互作用し、フォールディングに対する運動学的障壁を形成します。
ATP は、さまざまな生体高分子、特にタンパク質の疎水性パッチと広く相互作用することができ、複数部位の相互作用によって親和性を高めることができます。
ATP は、「折り畳みが崩れた状態」のいくつかの重要な残基と水素結合を形成する水分子を置換することにより、タンパク質のフォールディングを促進すると考えられます。
フォールディング中に結合状態からバルク水への水分子の放出は、エントロピーを増加させるため、エネルギー的にフォールディングを駆動します。
ATP は、タンパク質の水和を媒介する能力が高く、フォールディングを誘導することができます。
ATP は、私たちの細胞にとって、エネルギー非依存的に、タンパク質の恒常性を調節する能力を備えています。
水の並進エントロピーについては、関連記事をご参照ください ↓
筋肉の収縮とATP

筋肉線維はアクチン線維とミオシン線維が平行に並んだ構造をしており、ATP がミオシンに結合するとミオシンがアクチンに結合し引っ張ることで、アクチンがミオシンの間にすべるように引き込まれていき、筋肉の収縮が起こります。
この反応は、ATP がミオシンに結合し、ADP と Pi に加水分解されると、ミオシンの構造が変化することで始まります。
その結果、アクチン線維と接触・結合したミオシンはより安定になる方向へ移動し、その後 Pi を放出すると考えられています。
筋肉の収縮弛緩のしくみについては、関連記事をご参照ください ↓
この駆動力について、ATP 分子のみを考え、それが分解するときに放出するエネルギーによって、筋肉が収縮すると言われてきましたが、それは正しい表現ではありません。
ミオシン・アクチン(タンパク質)の構造変化は、周囲の水分子との水和状態の変化を必ず伴っています。
この周囲の水の状態変化によるエントロピーの変化が、この筋肉収縮(タンパク質の構造変化)の駆動力になっています。
ATP が結合して、加水分解して Pi が遊離し、さらに ADP が遊離する一連の過程は、タンパク質の水和状態の変化を ATP が媒介して、タンパク質の構造変化を駆動しています。
Physical driving force of actomyosin motility based on the hydration effect
Cytoskeleton (Hoboken). 2017 Dec;74(12):512-527. doi: 10.1002/cm.21417
水中ではアクチンの表面は強く負に荷電し、アクチン近傍の水は、バルク水より運動性の高いハイパーモバイル水(HMW)となっています。
水中の ATP はミオシン頭部に結合した後、ADP と Pi に分解され、このときミオシン頭部がアクチンに結合すると、アクチン数個分の構造が変化します。
アクチン周囲の電場強度が下がり、近傍の水は弱いHMWとなりバルク水に近づきます。
タンパク質の水和状態は、より強いHMW領域でエネルギー的に安定化するため、タンパク質はより電場の強い領域に向かう新たな表面力を受けるというわけです。
それがアクチン・ミオシンの駆動力になっています。
まとめ

私たちの生体分子は水中に存在し、水と相互作用しながら、他の分子との相互作用によって機能を発揮しています。
ATP の加水分解というと ATP 分子のみを考えがちですが、その加水分解においては、水と ATP との相互作用も考える必要があります。
ATP の加水分解に伴う自由エネルギー変化は、多数の溶媒の水分子がその配置を乱雑にしようとする傾向、すなわちエントロピーの効果も含んでいます。
タンパク質は、私たちの細胞を動かす原動力であり、細胞内にはそれぞれが特殊な機能を果たす何千種類ものタンパク質が存在しています。
タンパク質の動的挙動(構造変化)は、周囲の水分子(水和殻)のダイナミクスと複雑に結びついています。
水は、タンパク質の折り畳み、酵素触媒、膜の自己組織化など、数多くの重要な生物学的プロセスを媒介し制御しています。
ATP は、タンパク質の水和を媒介する能力が高く、タンパク質の構造変化(フォールディング)を誘導することができます。
ATP は、私たちの細胞にとって、エネルギー非依存的に、タンパク質の恒常性を調節する能力を備えています。



