コラム「私がつくりだす科学」
『私がつくりだす科学』
「再現性がないものは科学ではない」大学時代に言われて心に残った言葉の1つだ。
それから倍近く生きてきたが、やっとこの言葉の意味に少し近づけたのではないだろうかと思う。
「私」が掴んでしまった言葉は、その後の「私」にずっと影響を与えることになったりするのだ。
その言葉に捉えられて、何か法則性が生まれていくような気がする。
「科学は日々進歩する」というが、それは「私たちの科学」が変化するということではないだろうか。
夜空を見上げれば、星が回っているように感じるのが私たちである。
回っているのは地球だと教えられても、「私たちの科学」は天が回っていると感じているのではないだろうか。
そこに再現性があるのである。
「時間は存在しない」といわれても、時計の針が時を刻むのを見て、「私たちの科学」は時の流れを感じている。
「ウイルスは生命ではない。膜に覆われた情報を伝える物質である」といわれても、「私たちの科学」は襲ってくる微生物のように感じている。
どうやら再現性を生んでいるのは、「私」なのではないだろうかと思ったりするのだ。
医学は科学的根拠を大切するが、統計学による確率の世界を表現しているように感じてしまう。
これを選択したほうが、治療につながる確率が高くなるという意味だったりするのだ。
未来を予想して、より生存の高い選択しようとするのが、私たちの脳の働きである。
私たちは自分の中に法則性を見出し、それを再現させて「私たちの科学」をつくりだす。
そういう生き物なのではないかと思ったりする。
法則をつくりだすのも「私」なら、法則の縛りから抜け出すのも、「私」でしかないのかもしれないと思う。