脳の細胞外スペースとロジスティクス
日本神経回路学会誌 Vol.28, No.2 (2021), 71-80
脳内ロジスティクス
神経細胞(ニューロン)は脳の情報処理の主役として情報を統合し、活動電位を発生して次のニューロンに情報を伝達しています。
脳には、このニューロンのネットワークの他にも、血管網やグリア細胞網が存在します。
グリア細胞はニューロンの隙間を埋めて、脳内環境を一定に保つ役割をしていると考えられてきましたが、ニューロンが必要とする栄養物質や脳内物質の物流支援と供給管理(ロジスティクス)を担っていることがわかってきました。
このロジスティクスの経路として、血管網だけでなく、脳細胞の隙間である細胞外スペースや細胞間質が注目されています。
脳の細胞外スペースは、単なる隙間ではなく、細胞外環境を一定に保つための老廃物の排出のための通り道となっています。
また神経修飾物質やグリア伝達物質など液性因子の拡散や、細胞外電場を介した近接作用の場として重要な役割を果たしています。
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脳のアナログ伝達
脳のニューロン以外の要素は、お互いに影響を及ぼし合って相互作用をしています。
ニューロンによるシナプスを介した速い情報伝達だけでなく、細胞外環境の変化によるニューロンに及ぼす非シナプス的な相互作用も重要であると考えられます。
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脳の細胞外スペース
細胞と細胞の隙間は、細胞間質あるいは細胞間隙とも呼ばれますが、間質は単なる空間ではなく物質移動の通り道となります。
神経科学において、ニューロン同士の隙間はシナプス間隙と呼ばれ、それ以外の細胞間隙は細胞外スペースと呼ばれてきました。
細胞外スペースは、脳の約20%の体積を占めており、脳組織の約五分の一が隙間ということになります。
細胞外スペースは細胞間質液と呼ばれる体液に浸って、細胞外マトリックスと呼ばれるタンパク質が接着因子として働いています。
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細胞間質液
ニューロンが引き起こす電気活動は、細胞膜で隔てられた内外のイオンのバランスによって実現します。
主にNa+とK+のバランスが重要で、通常ニューロンはエネルギーを使って、Na+を外に汲み出し、K+を内側に取り込んでアンバランスな状態を作り出しています。
この不均衡によって作り出させる膜を隔てた静止膜電位は、およそ-70mV程度に保たれています。
そこに刺激がくると、この不均衡状態が崩れ、細胞の中にナトリウムイオンが流入することで、活動電位が生じます。
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脳脊髄液
脳は頭蓋骨に守られ、さらに髄膜(硬膜・くも膜・軟膜)に保護されています。
脳を浸している液体は、血液の血漿成分から脳の中でつくられます。この液体を脳脊髄液と呼びます。
成人では脳脊髄液の量は130ml程度であり、24時間で450~500ml産生されるので、1日のうちに3~4回入れ替わっていることになります。
この脳脊髄液が流れて細胞間質液と入れ替わり、古い細胞間質液を洗い流していることが、脳の恒常性を維持するためには重要です。
グリファティック系と呼ばれるシステムに使って、脳脊髄液と細胞間質液の交換によって、老廃物を排出していることがわかっています。
加齢や睡眠障害などによって、脳脊髄液の流れが滞ると、アミロイドβのようなタンパク質の排出が上手くいかなくなり、細胞外空間に蓄積して、アルツハイマー病などの遠因になると考えられます。
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アクアポリン4(AQP4)
アクアポリン(AQP)は細胞膜上に存在し、水分子だけを選択的に透過させる働きを持つ水の通り道(チャネル)のことです。
脳の中で主に機能しているのがAQP4であり、脳脊髄液と細胞間質液の交換に関与しています。
アストロサイト
脳内でAQP4を持っている細胞は、ニューロンではなくグリア細胞のアストロサイトです。
アストロサイトはその名の通り星形に見える主要な突起と、無数の微小突起からなるタワシのような格好をした脳細胞です。
その微小突起は、血管とシナプスの両方を被覆しインターフェイスとして、ニューロンへのエネルギー供給やグルタミン酸の再取り込みとリサイクルなど、様々な仕事をしています。
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広範囲調整系と拡散性伝達
アストロサイトは多様な脳内物質の受容体を持っており、中でもノルアドレナリン(神経伝達物質)によるアストロサイトの活性化が、覚醒中の行動に関与しています。
ノルアドレナリンは脳幹にあるノルアドレナリン作動性ニューロンによって産生・放出されます。このニューロンの軸索は脳の全域に投射しています。
一度ノルアドレナリン作動性ニューロンが興奮すると、脳の広い範囲を同時に活性化することから、広範囲調整系と呼ばれています。
他にもセロトニン作動性ニューロンやドーパミン作動性ニューロン、アセチルコリン作動性ニューロンなども広範囲調整系に含まれます。
ノルアドレナリン作動性ニューロンは通常のニューロンとは違って、一対一のシナプス結合を形成しません。
これらのニューロンは軸索上に存在するバリコシティから比較的広範囲に向けて、特定の相手を定めずに神経伝達物質を放出します。
周囲にあるニューロンやアストロサイトを同時に活性化し、脳の状態を変化させます。
広範囲調整系の神経修飾物質は、細胞外スペースを拡散によって伝わり(拡散性伝達)、不特定多数の細胞に対して信号を伝えています。
例えば、ノルアドレナリンなどが放出拡散され、周囲にあるアストロサイトが活性化し、グリア伝達物質を分泌すると、数千~数万個のシナプスが同時に影響を受けることになります。
またノルアドレナリン等の広範囲調整系の神経修飾物質は、細胞外スペースの体積にも影響を与えています。
細胞外スペースの体積は、寝ている時には脳組織の23%程度を占めるが、覚醒時では14%程度まで減少することが報告されています。
つまり細胞外スペースは一定ではなく、脳の状態に応じて変動しているのです。
細胞外スペースを満たす細胞間質液の流れも、睡眠・覚醒によって変化を受けており、睡眠中に細胞間質液の流れが大きくなって、細胞外スペースに溜まったアミロイドβのような代謝老廃物を洗い流し、新たに脳脊髄液と交換することで、脳の恒常性を維持しています。
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まとめ
神経細胞(ニューロン)を取り巻く細胞外環境は、刻々と流動的に変化しており、このような環境の中でニューロンのネットワークが活動しています。
ニューロンによるシナプスを介した速い情報伝達だけでなく、細胞外環境の変化によるニューロンに及ぼす非シナプス的な相互作用も重要であると考えられます。
広範囲調整系の神経修飾物質は、細胞外スペースを拡散によって伝わり(拡散性伝達)、不特定多数の細胞に対して信号を伝えています。
脳の細胞外スペースは、単なる隙間ではなく、細胞外環境を一定に保つための老廃物の排出のための通り道となっています。
グリファティック系によって、脳脊髄液が流れて細胞間質液と入れ替わり、古い細胞間質液を洗い流していることが、脳の恒常性を維持するためには重要です。
脳の中には、物の流れの制御と管理を行う仕組み、すなわちロジスティクス機構が存在し、それが細胞外スペースであり、アストロサイトであると考えられます。