コラム「未熟な個性」
『未熟な個性』
2~3年ほど前からダイバーシティ(多様性)という言葉をよく耳にするようになった。
SDGs(持続可能な開発目標)が採択され、ダイバーシティが意識されるようになったからだろう。
地球上には、何百万種から何千万種の生物が生息しており、どの生物も他の種と関わり合うことで生きている。
地球上にいるすべての生物は直接的あるいは間接的につながり合っているのかもしれない。
多種多様な生命のつながりの中でバランスが保たれ、それぞれの個性が発揮できる環境が維持されているのではないだろうか。
私たち人間がダイバーシティを意識するということは、生態系の中心を生きていると思っているからかもしれない。
どうもマジョリティから見たマイノリティへの配慮という意味合いが、強いのではないかと思ったりするのだ。
マジョリティに属することでの同質性による安心感が生まれ、自分たちの基準に合わせた社会をつくろうとしているのだろうか。
マジョリティとマイノリティは環境によって切り替わるものではないだろうかと、私は思う。
同じ種である私たち人間の中でも、遺伝子による多様性だけでなく、生活習慣による脂質クオリティなどによっても多様性が生まれてくる。
医療統計によるエビデンス重視の医療、個人差を無視した食事指導など、多様性を無視した平均や標準化が現代社会では多く見られるのではないだろうか。
私たちは自分の長所と短所を自己分析して把握することを教育されてきた。
長所とは得意な事でアピールポイントとなり、短所は苦手な事でウィークポイントだと思ったりしていた。
長所と短所は、よくよく考えると表裏一体で、同じ特性を表現していたりするのだ。
長所も短所も私たちの個性なのではないかと思ったりする。
私たちは過去の経験から、うまく活かすことができた個性を長所として認識し、うまく活かすことができなかった個性を短所と認識しているのかもしれない。
未熟な個性(短所)は、環境が変われば長所に変貌する可能性が高いのではないだろうかと思う。