生命のホモキラリティーとD-アミノ酸
Chemical approaches towards clues to the homochirality of life
生産研究 72 (3), 227-231, 2020-05-01
D-アミノ酸の哺乳類における生物学的意義
Kagaku to Seibutsu 57(6): 340-345 (2019)
ホモキラリティーの起源
分子がその構造の鏡像と重ね合わすことができない性質を示すことを、”分子のキラリティー”と呼びます。
例えば、アミノ酸にはD 体、L 体の鏡像異性体が存在しますが、私たち人間を構成するアミノ酸のほとんどは、片方の鏡像異性体の L 体です。また糖の場合は、D 体のみで構成されています。
これを”生命のホモキラリティー”と呼びます。
このホモキラリティーのために、生体に対して働きかける医薬品、香料、甘味料などにおける分子のキラリティーは極めて重要となります。
このような理由から、片方の鏡像異性体を選択的に合成すること(不斉合成)は、必要不可欠な科学技術でその研究は盛んに行われてきました。
生命のホモキラリティーの起源は、現在のところ三つの候補が提案されています。
その一つは、地球の自転運動による渦運動(コリオリの力)です。
本質的にキラルである渦運動により、片方の鏡像異性体が選択的に作られたのであろうと考えられています。
コリオリの力については、関連記事をご参照ください ↓
また光により片方の鏡像異性体が選択的につくられたという考え方が、二つ提案されています。
その一つは、円偏光による光反応です。
ラセミ体に右円偏光を照射すると、一つの鏡像異性体が選択的に光を吸収して反応する一方、もう片方の鏡像異性体は光を吸収しづらく反応を起こさないことから、片方の鏡像異性体がつくられたという考え方です。
もう一つは、磁気キラル二色性という現象です。
磁気キラル二色性は、光学活性分子の光吸収が光の進行方向と磁場方向の平行・反平行によって変化する現象です。
磁場中では、片方の鏡像異性体が選択的に光化学反応を起こすこともわかっています。
Chiral Supramolecular Nanoarchitectures from Macroscopic Mechanical Rotations: Effects on Enantioselective Aggregation Behavior of Phthalocyanines
Angew Chem Int Ed Engl. 2019 Dec 16;58(51):18454-18459. doi: 10.1002/anie.201911366.
ロータリーエバポレーターを使用して、フタロシアニン分子の単量体を含む溶液を濃縮することにより、キラルな触媒を用いずに、マクロな機械的回転に応じて、右巻きまたは左巻きにねじれたフタロシアニン キラル会合体を、高い再現性で合成することに成功しています。
マクロな機械的回転(~10-1m)を使用した渦運動(コリオリの力)によって、ナノスケールの分子キラリティー(10-7~10-9m)に結びつけている点から、生命のホモキラリティー起源を考える上での手がかりになると考えられます。
L-アミノ酸とD-糖
タンパク構成アミノ酸20種のうち、グリシンを除く19種は光学異性体(DおよびL体)を有しています。
D-アミノ酸は、L-アミノ酸とエネルギー的には等価だが、生命活動の多くは L-アミノ酸を優位に用いられています。
L-アミノ酸の中間代謝物が、解糖系やTCA回路に利用され、エネルギー代謝においてもL-アミノ酸が重要となります。
エネルギー代謝については、関連記事をご参照ください ↓
タンパク質合成におけるL-アミノ酸優位性は、RNAのL-アミノ酸親和性が関係していると考えられています。
この親和性は、RNA構成糖がD-リボースで、ホモキラルであることに由来しています。
生命誕生の過程において、RNAのホモキラリティが L-アミノ酸を選択したのか、アミノ酸のホモキラリティが D-糖をもつRNAを選択したのか、ホモキラリティの由来は多くの謎に包まれています。
しかし、DNAの右巻き螺旋やタンパク質高次構造など、生命活動に不可欠な分子の高次構造形成には、構成分子のホモキラリティが必須であり、分子のホモキラリティが生命活動の根底を支えています。
内因性 D-アミノ酸 D-セリン
ホモキラリティの例外として、L-アミノ酸の光学異性体である D-アミノ酸が、哺乳類でどのように利用され機能しているかは研究されています。
哺乳類の体内には、D-アミノ酸は存在しないと長い間信じられてきましたが、限られた場所や状況で一部のD-アミノ酸が利用されていることがわかってきました。
1992年にD-セリン(D-Ser)が、哺乳類の大脳皮質の全セリン の1/4を占めていることが発見されました。
その後、内在性酵素であるセリンラセマーゼによって、L-Ser から D-Ser へ変換することで D-Ser の生合成が明らかとなりました。
哺乳類での大脳皮質では、D-Ser は神経伝達物質として機能しています。
D-Ser は、イオンチャネル型グルタミン酸受容体の一つである N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体の GluN1サブユニットに光学選択的に結合します。
NMDA受容体については、関連記事をご参照ください ↓
NMDA受容体は、ほかのグルタミン酸受容体(AMPA受容体、カイニン酸受容体)と異なり、グルタミン酸の結合に加えて、coagonist の結合が活性化には必須であり、D-Ser が生理的な coagonist として考えられています。
哺乳類では、D-Ser を利用し始めることで、シナプス神経伝達をより効率よく行えるようになったのではないかと考えられています。
さらにヒトでもほかの哺乳類同様に大脳皮質に高濃度の D-Ser が報告されており、大脳皮質の機能と D-Ser 濃度の相関が示唆されています。
実際に大脳皮質の D-Ser が減少することによって、NMDA受容体機能低下を引き起こし、統合失調症の一部の症状との関連が報告されています。
逆に D-Ser 濃度が生理的には低い領域である脳幹や脊髄において D-Ser が蓄積すると、神経の過剰興奮や神経細胞死を引き起こし、筋萎縮性側索硬化症や進行に影響を与えると考えられています。
外因性 D-アミノ酸
哺乳類の体内には、中枢神経系の内因性 D-Serとは異なる、もう一つの大きな D-アミノ酸の産生源があります。
真正細菌は、自身の細胞壁の材料や環境適応のために、多様な D-アミノ酸を合成することが知られています。
腸内細菌など哺乳類と共生して、多量のD-アミノ酸を合成放出していることが明らかとなっています。
腸内細菌叢(マイクロバイオーム)の働きについては、関連記事をご参照ください ↓
D-Ser および D-Asp を除く多くの細菌性D-アミノ酸は、哺乳類を含めた真核生物は合成することができません。
哺乳類は、真正細菌に特徴的な代謝物である細菌性D-アミノ酸を認識することにより、自然免疫を調節していることが徐々に明らかとなっています。
D-アミノ酸酸化酵素(D-amino acid oxidase : DAO)は、真正細菌にはほとんど認められず、真核生物で広く保存されています。
DAOは、D-アミノ酸分解によって殺菌作用のある過酸化水素を発生させ、D-アミノ酸に反応する自然免疫を担う分子として着目されています。
小腸上皮に含まれるDAOは、腸内細菌によって発現誘導され、腸細胞および杯細胞に分布し一部は管腔内へ放出されます。
放出されたDAOは、病原性細菌の殺菌を担うのみならず、管腔内のD-アミノ酸代謝によってD-アミノ酸栄養依存性の高い常在細菌叢の生育に影響を与えます。
DAOは、細菌性D-アミノ酸を認識し代謝することで、粘膜表面の恒常性維持に一部関与していると考えられます。
まとめ
アミノ酸にはD 体、L 体の鏡像異性体が存在しますが、私たち人間を構成するアミノ酸のほとんどは、片方の鏡像異性体の L 体です。また糖の場合は、D 体のみで構成されています。
DNAの右巻き螺旋やタンパク質高次構造など、生命活動に不可欠な分子の高次構造形成には、構成分子のホモキラリティが必須であり、分子のホモキラリティが生命活動の根底を支えています。
生命のホモキラリティーの起源の候補の一つが、地球の自転運動による渦運動(コリオリの力)です。
本質的にキラルである渦運動により、片方の鏡像異性体が選択的に作られたのであろうと考えられています。
哺乳類の体内には、D-アミノ酸は存在しないと長い間信じられてきました。
しかし、ホモキラリティの例外として、L-アミノ酸の光学異性体である D-アミノ酸が、限られた場所や状況で利用されていることがわかってきました。
内因性D-アミノ酸のD-セリンは、大脳皮質でシナプス性NMDA受容体を機能調節する神経伝達物資として機能しています。
外因性D-アミノ酸として、共生する真正細菌による細菌性D-アミノ酸があります。
哺乳類はD-アミノ酸酸化酵素(DAO)を介して、D-アミノ酸を認識することによって、好中球や気道・小腸粘膜上皮の自然免疫を調節しています。